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最も貴いものをささげる信仰
ヘブル 11:17-28

 アブラハムとモーセは彼らの生涯において最も貴いものを神様にささげました。今日の御言葉を通して、私たちは神様に用いられるしもべたちの信仰と価値観に触れることができます。

I.イサクをささげたアブラハム(17-22)
 神様がアブラハムに「ひとり子イサクをいけにえとしてささげよ。」と言われた時、それに聞き従うことは、容易ならざることであったはずです。しかしアブラハムは従いました。彼は、ひとり子イサクを愛していました。しかし、そのひとり子にもまして、神様を愛したのです。このことは、神様を最も愛するということを教えてくれます。それは、自分の最も大切なものさえも、主にささげることなのです(ロマ14:8)。そして、彼は、甦りを信じていました(19)。アブラハムは、その信仰の故に、地上の祝福に心を奪われることがありませんでした。彼は本当の自由を得ていました。彼の信仰は、イサク、ヤコブ、ヨセフと、その子孫たちに、遺産として引き継がれて行きます。彼は、地上の何にもまして価値ある霊的な遺産を残したのです。

II.エジプトの全ての宝を捨てたモーセ(23-28)
 モーセはエジプトでパロの娘の子として受けるであろう名誉と権威と富を捨てました。むしろ奴隷の民イスラエルの牧者として苦難を受ける道を選びました。彼はパロの娘の子として生きることは、はかない罪の楽しみであることを知っていました。キリストのために受けるそしりを、本当に価値あるものとして選び取ったのです。彼は、この地での苦難は、つかの間で、天の御国の報いは永遠であることを信じていました(ロマ8:18)。モーセは、その信仰によって、出エジプトという歴史的な御業を成し遂げたのです。

祈り:主よ!私は、世の宝と目に見える祝福に心を奪われていました。しかし、今、悔い改めます。日々御守りください。天の御国の報い、この、まことの希望を見失うことがありませんように。

一言:主の報いこそ

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約束を信じる信仰
ヘブル 11:7-16

 今日の御言葉には、ノア、アブラハム、サラの信仰が記録されています。彼らの信仰に共通しているのは、皆、神様の約束を信じたことです。彼らは神様の約束を信じたが故に、偉大なことをなし得たのです。

I.御言葉に従順(7,8)
 ノアは、神様が洪水のさばきをくださることを知ったとき、畏れかしこんで箱舟を造りました。当時、洪水の兆しは全く見えませんでしたが、ノアは、ただただ神様の約束を信じて、神様の示しに聞き従いました。アブラハムは神様の約束の御言葉(創12:2,3)を信じ、聞き従って将来相続する地へと出て行きました。神様の約束を信じる時、私たちは、未だ見ぬ未来に希望を置き、喜んで聞き従うことができるのです。

II.環境と条件を克服(11,12)
 サラは年をとって胎が閉ざされ、子どもを産む望みさえ持ちえませんでした。しかし彼女は約束の御言葉に信頼をおき、身ごもる力を得たのです。死んだも同様の一人から、数多くの人が生まれました。まことの御方であられる神様の約束に信頼を置くとき、人は、不可能であると断言されるような条件さえも乗り越えて、新しい御業を創造する者に変えられるのです。

III.天の御国を待ち望む(9,10,13-16)
 彼らは約束の地に住みながらも、まるで異邦人や旅人のように生活しました。彼らは、さらに優れた天の故郷を望んでいたのです。私たちに向けられた神様の最も大きな約束はまさに神様の御国です。この神様の御国に希望を置くとき、この世に束縛されない人生を生きることができるのです。

祈り:主よ!私は、あなたの約束の御言葉を信じ、どこまでも従います。私を導いてください。その歩みの中で、信仰の秘密を知ることができるように。

一言:神様の御言葉は最も確実な約束手形

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信仰とは何か
ヘブル 11:1-6

 ヘブル人への手紙の著者は「わたしの義人は信仰によって生きる。」(ヘブ10:38)という御言葉で、信仰が信者の生活の土台であることを強調しました。では信仰とは果たしてどんなものなのでしょうか。

I.望んでいる事柄、目に見えないもの(1-3)
 信仰の対象は、望んでいる事柄と目に見えないものです。すでに得たものに安住し、目に見えるものだけを認めようとする人々は信仰を持つことができません。私たちは信仰によって望んでいる事柄が存在し、信仰によって神様が約束され、私たちが望んでいる事柄が将来必ず成されることを信じています。神様がこの世界を造られた時、それを見た人は誰もいません。しかし私たちに信仰があれば、この世界が神様の御言葉で造られたことを悟るようになるのです(3)。私たちの目に見えるものが、見えない神様の御言葉で造られたことも、容易に理解できます。

II.神様に喜ばれること(4-6)
 私たちが信仰を持つ目的は自分の利益を求めることより、神様に喜ばれることにあります。神様に喜ばれるためには、かならず神様がおられることと、神様を求める者には報いてくださる方であることを信じなければなりません。神様がアベルのいけにえだけを受け入れられたのは、アベルがカインとは違って神様がおられることを信じて、神様の前で心を尽くしていけにえをささげたからです。エノクが祝福を受けたのも、罪深い時代に、人々の視線を気にせずに、神様の御前で生きたからです。

祈り:主よ!私の信仰は本当に浅はかなものです。私が見えないものを信じ、神様に喜ばれる信仰を持つように助けてください。

一言:信仰がなくては、神様に喜ばれることはできません

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新しい生ける道イエス様
ヘブル 10:19-39

 ヘブル人への手紙10:19-13:5節の御言葉は、信仰の実践的な勧めです。本文は、イエス様こそが神様へと進み出るための新しい生ける道であることを教え、信仰の歩みを続けて行く人々を励ましています。

I.神様に近づこうではありませんか(19-25)
 イエス様は神様の御前に進み出るための新しい生ける道です。イエス様はこの道を、血を流し、ご自分の肉体の垂れ幕を通して、設けられたのです。私たちはこの道に従い、全き信仰をもって、まごころを持って神様に近づけばよいのです。そうすれば、主は私たちを受け入れてくださいます。豊かな恵みで満たしてくださいます。また私たちは、まことの御方であられる神様を信じて望みをしっかりと握り締め、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合うべきです。共に集って御言葉を学び、福音の広がりを期待して祈るべきなのです。

II.いつまでも残る財産を望み(26-39)
 私たちがイエス様を信じた後、故意にイエス様を否定する罪を犯すならば、二度と罪の赦しはなく、恐ろしいさばきが待つばかりです。私たちは、たとえどのような迫害にさらされても、後ろに退いてはならないのです。
 人々から批判とあざけりを受けたり、金銭的な損害を受けたとしても、恐れるべきではないのです。私たちには、もっとすぐれた、いつまでも残る財産が与えられています(34)。ただ信じ続けましょう。決して確信を投げ捨ててしまわないように。私たちは後ろに退いて滅びる者ではありません。たましいを救いに導く信仰を持つ者です。

祈り:主よ!新しい生ける道、イエス・キリストを受け入れ、あなたの御前に進み出ます。たとえ、どんな逆境にあったとしても、あなたを信じ続けることができますように。

一言:イエス様の御血を受け入れて

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ただ一度だけささげられたイエス様のからだ
ヘブル 10:1-18

 旧約には贖罪法があり、その律法に従って雄牛とやぎと羊たちをささげました。しかしそれは不完全なものでした。イエス様はこのような旧約の贖罪法を廃するため、ご自分のからだを御捧げになったのです。

I.私たちを聖なるものにして下さったイエス様(1-10)
 祭司制度とは、罪の問題を解決するために設けられたものでした。しかし雄牛とやぎの血は罪をきよめるに不完全であり、毎年罪を思い起こさせます。そして、神様御自身も、いけにえやささげ物を願われず、喜ばれません。そうした中で、神様の御旨を行なうために、イエス様がこの地に来られました。ご自分のからだをただ一度、御捧げになり、人間の罪を本質的に除き去るために来られたのです。イエス様は喜んでこのことを行なわれました。そして私たちを聖なるものとされました。獣の血は私たちをきよめることができません。しかし、キリストの血は、私たちを聖なるものへと変えることができるのです。

II.私たちを完全なものにして下さったイエス様(11-18)
 祭司は毎日礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返してささげますが、それらは決して罪を除き去ることができませんでした。イエス様は罪のために一つの永遠のいけにえをささげました。イエス様は敵がご自分の足台となるのを待っておられます。それでイエス様は、一つのささげ物によって聖なるものとされる人々を、永遠に全うなものとされました。神様はその契約を心に刻まれ、人間の罪と不法とを再び思い出すことはされません。

祈り:主よ!ありがとうございます。あなたが、一つの永遠のいけにえを御捧げになり、私たちを聖なるもの、完全なものとしてくださったことを忘れはしません。

一言:永遠に、完全なものとされたイエス様

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