2006年10月21日 (土)
Ⅱコリント 10:12-18
「誇る者は、主にあって誇りなさい。」(17)
I.自己推薦は知恵のないことです(12)
パウロの敵対者たちは自己推薦をしつつ、使徒パウロを中傷し、コリントの聖徒たちの心を奪おうとしました。しかし、お互いに比較したり、自分の基準で自分を評価することは、実に浅はかなことなのです(12)。
II.主にあって誇りなさい(13-18)
パウロは敵対者たちとは異なり、神様が割り当ててくださった限度を超えて誇るようなことをしませんでした(13a)。パウロは、福音がコリントの聖徒たちにまで達したこと(13b)、つまり、コリントの教会が開拓されたことを誇りました。それは、パウロを通して、キリストの福音がもたらされたからです(14)。一方、敵対者たちもコリントの教会のことを誇りました。しかし、それは、他人の労苦を自分のことのように誇る、限度を超えたことだったのです。パウロは、コリントの聖徒たちの信仰の成長と共に、彼らのうちで自分が働くことのできる領域が広がり、そして、福音が彼らの地域を越えてローマやイスパニヤにまで伝えられることを願っていました(15,16,ロマ15:28)。しかし、彼は、神様が定められた限度を守り、他人がしたことをまるで自分がやったかのように誇りはしませんでした。人は、他人から評価してもらいたいという欲望のために、人の前で誇ろうとしがちです。しかし誇る者は、主にあって誇るべきです(17)。自分で自分を推薦するのではなく、主に推薦される人こそが確かな人なのです(18)。私たちが、この世で何かを誇れるとしたら、それは、永遠の御方、主に在ることだけです。
祈り:主よ!私が自分を誇って、人々の評価を追い求めるのではなく、ただ、あなたにこそ喜ばれるものでありますように、私を御助けください。
一言:主にあって誇りなさい
「誇る者は、主にあって誇りなさい。」(17)
I.自己推薦は知恵のないことです(12)
パウロの敵対者たちは自己推薦をしつつ、使徒パウロを中傷し、コリントの聖徒たちの心を奪おうとしました。しかし、お互いに比較したり、自分の基準で自分を評価することは、実に浅はかなことなのです(12)。
II.主にあって誇りなさい(13-18)
パウロは敵対者たちとは異なり、神様が割り当ててくださった限度を超えて誇るようなことをしませんでした(13a)。パウロは、福音がコリントの聖徒たちにまで達したこと(13b)、つまり、コリントの教会が開拓されたことを誇りました。それは、パウロを通して、キリストの福音がもたらされたからです(14)。一方、敵対者たちもコリントの教会のことを誇りました。しかし、それは、他人の労苦を自分のことのように誇る、限度を超えたことだったのです。パウロは、コリントの聖徒たちの信仰の成長と共に、彼らのうちで自分が働くことのできる領域が広がり、そして、福音が彼らの地域を越えてローマやイスパニヤにまで伝えられることを願っていました(15,16,ロマ15:28)。しかし、彼は、神様が定められた限度を守り、他人がしたことをまるで自分がやったかのように誇りはしませんでした。人は、他人から評価してもらいたいという欲望のために、人の前で誇ろうとしがちです。しかし誇る者は、主にあって誇るべきです(17)。自分で自分を推薦するのではなく、主に推薦される人こそが確かな人なのです(18)。私たちが、この世で何かを誇れるとしたら、それは、永遠の御方、主に在ることだけです。
祈り:主よ!私が自分を誇って、人々の評価を追い求めるのではなく、ただ、あなたにこそ喜ばれるものでありますように、私を御助けください。
一言:主にあって誇りなさい
2006年10月20日 (金)
Ⅱコリント 10:1-11
「神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。」(4)
I.肉に従って戦わなかったパウロ(1-6)
コリント教会の中には、パウロのことを、遠くから手紙を書く時には強気で、面と向かっているときはおとなしいうわべばかりの人間だとあざ笑う人々がいました。ですが、実際のところ、パウロはイエス様の心を見習って(ピリ2:5-9)、罪の中で弱くなっていた兄弟たちのところで、へりくだり、愛をもって仕えていたのです。しかし、こうしたパウロの心を知らずに、人間的な目で見て、あざ笑う人々がいました。こうした人々にパウロは言います。「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。」(3) それは、私たちが戦うべき対象は目に見える人や制度のようなものではなく、目に見えない悪い霊だからです。悪い霊は、人を高ぶらせ、さまざまな人の理論や思想を持って神様を否定し、キリストを否定するように仕向けます。そうしたものと肉に従って戦えば、対立するばかりで、解決は望み得ません。しかし聖霊は、驕り高ぶりを打ち砕き、人の考えを捕らえ、キリストの御前にへりくだるように導く「神の力」(divine power)です。そして、その聖霊の力は神様の御言葉に心を開くときに働くのです。
II.使徒の権威をお与えになった目的(7-11)
パウロは、主が、自分に使徒の権威を与えられたのは、兄弟たちを倒すためにではなく、立てるためであることをよく知っていました(8)。彼は、本物の福音の働き人でした。主がお与えになった権威を自分の利益のために使うことをせず、ただ兄弟たちを信仰の上に立たせ、生かすためだけに使ったのです。
祈り:主よ!へりくだった優しい心で兄弟・姉妹に仕えることができますように、そして、あなたの力で福音の敵に打ち勝ち、あなたの御前にへりくだらせることができますように、私を御導きください。
一言:私たちの武器は神様の力
「神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。」(4)
I.肉に従って戦わなかったパウロ(1-6)
コリント教会の中には、パウロのことを、遠くから手紙を書く時には強気で、面と向かっているときはおとなしいうわべばかりの人間だとあざ笑う人々がいました。ですが、実際のところ、パウロはイエス様の心を見習って(ピリ2:5-9)、罪の中で弱くなっていた兄弟たちのところで、へりくだり、愛をもって仕えていたのです。しかし、こうしたパウロの心を知らずに、人間的な目で見て、あざ笑う人々がいました。こうした人々にパウロは言います。「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。」(3) それは、私たちが戦うべき対象は目に見える人や制度のようなものではなく、目に見えない悪い霊だからです。悪い霊は、人を高ぶらせ、さまざまな人の理論や思想を持って神様を否定し、キリストを否定するように仕向けます。そうしたものと肉に従って戦えば、対立するばかりで、解決は望み得ません。しかし聖霊は、驕り高ぶりを打ち砕き、人の考えを捕らえ、キリストの御前にへりくだるように導く「神の力」(divine power)です。そして、その聖霊の力は神様の御言葉に心を開くときに働くのです。
II.使徒の権威をお与えになった目的(7-11)
パウロは、主が、自分に使徒の権威を与えられたのは、兄弟たちを倒すためにではなく、立てるためであることをよく知っていました(8)。彼は、本物の福音の働き人でした。主がお与えになった権威を自分の利益のために使うことをせず、ただ兄弟たちを信仰の上に立たせ、生かすためだけに使ったのです。
祈り:主よ!へりくだった優しい心で兄弟・姉妹に仕えることができますように、そして、あなたの力で福音の敵に打ち勝ち、あなたの御前にへりくだらせることができますように、私を御導きください。
一言:私たちの武器は神様の力
2006年10月19日 (木)
Ⅱコリント 9:1-15
「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、」(8)
I.準備された捧げもの(1-5)
コリント教会は飢饉で苦しみの中にあるエルサレムの聖徒たちを助けるため、献金をすることを約束していました。しかし、それから一年が過ぎて、その約束がうやむやになりかけていました。そのためパウロは、自分が彼らのところへ行く前に、約束していたとおりに準備しておくようにと勧めました(3)。前もって準備された捧げものこそが、心からの捧げものです。強いられて、あるいは惜しみながらするものではなく、すでに心に定めた捧げものこそ、本当の捧げものなのです(5)。献金は税金ではありません。捧げる心こそが大事です。献金のために祈り、好意に満ちた贈り物として用意しましょう。エルサレムの聖徒たちを助けるためであっても、それは、神様への捧げものなのです。
II.すべての良いわざにあふれる者とするために(6-15)
献金は、あらかじめ心に定めたとおりに、ささげることが望ましいものです。いやいやながらではなく、強いられてでもなく、ただ心に定めた通りにすべきです。神様は、私たちがすべての良いわざにあふれる者となるようにと、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えてくださいます(8)。この御方に信頼しましょう。そのとき、神様は、私たちの捧げものを、大きく祝福し、義の実を結ぶものとしてくださいます(10)。コリントの聖徒たちの献金はエルサレムの聖徒たちの足りないものを補うのみならず、神様の栄光を現すようになります(13)。エルサレムの聖徒たちが彼らのために祈り、彼らを慕い求めるようになります(13,14)。ギリシヤ人の聖徒とユダヤ人の聖徒が、神様の愛の中で一つになります。彼らは、大いなる神様の御業を見るようになるのです。
祈り:主よ!あなたは、私の捧げものを尊び、良い御業のために用いてくださるのですね。私が、前もって用意した捧げものを、喜びの中で御捧げすることができますように。
一言:すべての良いわざにあふれる者とするために
「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、」(8)
I.準備された捧げもの(1-5)
コリント教会は飢饉で苦しみの中にあるエルサレムの聖徒たちを助けるため、献金をすることを約束していました。しかし、それから一年が過ぎて、その約束がうやむやになりかけていました。そのためパウロは、自分が彼らのところへ行く前に、約束していたとおりに準備しておくようにと勧めました(3)。前もって準備された捧げものこそが、心からの捧げものです。強いられて、あるいは惜しみながらするものではなく、すでに心に定めた捧げものこそ、本当の捧げものなのです(5)。献金は税金ではありません。捧げる心こそが大事です。献金のために祈り、好意に満ちた贈り物として用意しましょう。エルサレムの聖徒たちを助けるためであっても、それは、神様への捧げものなのです。
II.すべての良いわざにあふれる者とするために(6-15)
献金は、あらかじめ心に定めたとおりに、ささげることが望ましいものです。いやいやながらではなく、強いられてでもなく、ただ心に定めた通りにすべきです。神様は、私たちがすべての良いわざにあふれる者となるようにと、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えてくださいます(8)。この御方に信頼しましょう。そのとき、神様は、私たちの捧げものを、大きく祝福し、義の実を結ぶものとしてくださいます(10)。コリントの聖徒たちの献金はエルサレムの聖徒たちの足りないものを補うのみならず、神様の栄光を現すようになります(13)。エルサレムの聖徒たちが彼らのために祈り、彼らを慕い求めるようになります(13,14)。ギリシヤ人の聖徒とユダヤ人の聖徒が、神様の愛の中で一つになります。彼らは、大いなる神様の御業を見るようになるのです。
祈り:主よ!あなたは、私の捧げものを尊び、良い御業のために用いてくださるのですね。私が、前もって用意した捧げものを、喜びの中で御捧げすることができますように。
一言:すべての良いわざにあふれる者とするために
2006年10月18日 (水)
Ⅱコリント 8:10-24
「あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、平等を図っているのです。」(13)
I.救済献金の意味(10-15)
コリントの聖徒たちは一年前から支援のための献金を始めました。そして、今、成し遂げるべき時が来ました。ですが、強いられて行う献金は、本当の施しではありません。自ら捧げる心がなければ意味がないのです。自ら進んで捧げたものこそが、神様のものとなります。強いられて捧げられたものは、神様のものとはなりません。施しの目的は、苦しい状況の中にある人々を助け、お互いに平等を図ることにあります。決して、施される人々が楽になり、施しをする人々が苦しむというものではありません(13)。苦難の中にある人々のために今、捧げるならば、後に私たちが苦難に陥ったとき、私たちもまた、助けられます(14)。神様は公平な御方だからです。
II.選ばれた働き人(16-24)
救済献金を集め、送り届けるためには、そのための働き人が必要です。パウロはこの働き人をたいへん注意深く立てました。なぜなら多くの金銭は人の目を眩ませ、サタンの罠にならないとも限らないからです(20)。そしてパウロは、テトスを任命しました。彼は、ただ神様に御仕えするためにコリント教会に赴き、この仕事にあたりました。また、パウロは、テトスと共にもう一人の兄弟を送りました。彼は全ての教会で称賛される人でした。そして、さらに別の兄弟も送りました。彼はいろいろな機会を通じてその熱心さを人々に認められた人でした(22)。彼ら三人は諸教会の使者として、まっすぐに使命を担うことを期待されました。金銭というものは、正しく使えば人を生かし、不正に使えば人を滅ぼします。ですから、いつも注意深くあることが求められているのです。
祈り:主よ!あなたは、私たちが平等であるようにと、施しの働きを示してくださいました。私は、あなたに在る喜びの中で、この施しの働きに加わります。
一言:私たちが平等であるようにと
「あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、平等を図っているのです。」(13)
I.救済献金の意味(10-15)
コリントの聖徒たちは一年前から支援のための献金を始めました。そして、今、成し遂げるべき時が来ました。ですが、強いられて行う献金は、本当の施しではありません。自ら捧げる心がなければ意味がないのです。自ら進んで捧げたものこそが、神様のものとなります。強いられて捧げられたものは、神様のものとはなりません。施しの目的は、苦しい状況の中にある人々を助け、お互いに平等を図ることにあります。決して、施される人々が楽になり、施しをする人々が苦しむというものではありません(13)。苦難の中にある人々のために今、捧げるならば、後に私たちが苦難に陥ったとき、私たちもまた、助けられます(14)。神様は公平な御方だからです。
II.選ばれた働き人(16-24)
救済献金を集め、送り届けるためには、そのための働き人が必要です。パウロはこの働き人をたいへん注意深く立てました。なぜなら多くの金銭は人の目を眩ませ、サタンの罠にならないとも限らないからです(20)。そしてパウロは、テトスを任命しました。彼は、ただ神様に御仕えするためにコリント教会に赴き、この仕事にあたりました。また、パウロは、テトスと共にもう一人の兄弟を送りました。彼は全ての教会で称賛される人でした。そして、さらに別の兄弟も送りました。彼はいろいろな機会を通じてその熱心さを人々に認められた人でした(22)。彼ら三人は諸教会の使者として、まっすぐに使命を担うことを期待されました。金銭というものは、正しく使えば人を生かし、不正に使えば人を滅ぼします。ですから、いつも注意深くあることが求められているのです。
祈り:主よ!あなたは、私たちが平等であるようにと、施しの働きを示してくださいました。私は、あなたに在る喜びの中で、この施しの働きに加わります。
一言:私たちが平等であるようにと
2006年10月17日 (火)
Ⅱコリント 8:1-9
「あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。」(2)
I.力以上にささげ(1-5)
パウロは、エルサレムの教会を救うため、コリントの聖徒たちに献金を呼びかけます。この施しの御業において、マケドニヤ教会は大きな模範を示していました。彼らは苦難と激しい試練、極度の貧しさの中にありました。しかし、それにも関らず、彼らは自ら進んで、惜しみなく、力以上に捧げたのです(3)。彼らは、パウロがこの働きに参加してくれることを願い求め、まず自分自身を主にささげたのです(5)。
II.キリストの貧しさになった(6-9)
マケドニヤの聖徒たちが模範的な施しをしたということを知ったパウロは、今、コリントの聖徒たちも、そのようにあることを願っています。彼らは信仰も、知識も豊かで、熱心でした。パウロは、そのような彼らが、また、施しの業においても豊かであるようにと願ったのです。パウロは、彼らに多くの献金をするように強要したのではありません。ただ、彼らが、エルサレムの聖徒たちに愛を表現することを後押ししようとしたのです(8)。イエス・キリストは最も豊かな方でしたが、最も貧しくなられました。そして、そのイエス様の恵みによって私たちは豊かになりました(9)。ですから、私たちが貧しい者のために捧げることは、神様から受けた恵みをお返しする事なのです。それ故に、パウロは救済献金を「恵み」と表現しました。私たちが、喜びの中で、この恵みに与ることができますように。
祈り:主よ!惜しみなく捧げたマケドニヤの聖徒たちの姿を教えてくださりありがとうございます。私も捧げる者でありますように。あなたの恵みに与っているのだから。
一言:力以上にささげた聖徒たち
「あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。」(2)
I.力以上にささげ(1-5)
パウロは、エルサレムの教会を救うため、コリントの聖徒たちに献金を呼びかけます。この施しの御業において、マケドニヤ教会は大きな模範を示していました。彼らは苦難と激しい試練、極度の貧しさの中にありました。しかし、それにも関らず、彼らは自ら進んで、惜しみなく、力以上に捧げたのです(3)。彼らは、パウロがこの働きに参加してくれることを願い求め、まず自分自身を主にささげたのです(5)。
II.キリストの貧しさになった(6-9)
マケドニヤの聖徒たちが模範的な施しをしたということを知ったパウロは、今、コリントの聖徒たちも、そのようにあることを願っています。彼らは信仰も、知識も豊かで、熱心でした。パウロは、そのような彼らが、また、施しの業においても豊かであるようにと願ったのです。パウロは、彼らに多くの献金をするように強要したのではありません。ただ、彼らが、エルサレムの聖徒たちに愛を表現することを後押ししようとしたのです(8)。イエス・キリストは最も豊かな方でしたが、最も貧しくなられました。そして、そのイエス様の恵みによって私たちは豊かになりました(9)。ですから、私たちが貧しい者のために捧げることは、神様から受けた恵みをお返しする事なのです。それ故に、パウロは救済献金を「恵み」と表現しました。私たちが、喜びの中で、この恵みに与ることができますように。
祈り:主よ!惜しみなく捧げたマケドニヤの聖徒たちの姿を教えてくださりありがとうございます。私も捧げる者でありますように。あなたの恵みに与っているのだから。
一言:力以上にささげた聖徒たち






