2006年10月26日 (木)
Ⅱコリント 13:1-13
「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。」(8)
I.今度そちらに行った時には、容赦はしません(1-4)
パウロは、前から罪を犯している人と、他のすべての人々に告げました。「今度そちらに行ったときには、容赦はしません。」 彼らは、使徒パウロは気が弱くて自分たちに対して強く言えないと思っていたようです。そのために、咎められても軽んじて、悔い改めようとしなかったのです。十字架で打ち砕かれたキリストは最も弱々しいもののようでした。しかし、彼は神様の力によって甦るのです。パウロも、また、極めてへりくだった生き方を選んだ柔和な者でした。しかし、彼は、今、力強く語っています(4)。キリスト御自身が、パウロのうちに在って語っておられるのです。
II.真理のためなら、何でもできるのです(5-13)
パウロは罪を犯す人々に厳然とした態度をとりました。それは、決して、自分の強さを過信していたからでも、牧者としての権威を現そうとしたからでもありません。パウロは、彼自身がたとえ捨てられた者のようであったとしても、彼らが正しい生き方を選び取ってくれることを望んでいました(7-9)。彼は証ししています。「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。」(8) 彼は、ただただ、この真理のために生きようとしました。彼は真理を愛しました。そして、その愛ゆえに、彼は、聖徒たちを耐え忍ぶ柔和な者へ、また、聖徒たちを悔い改めへと導く力強い者へと変えられたのです。真理のために生きようとするとき、その道には苦難と孤独が伴います。しかし、そうした生き方を選び取るとき、人は大いなる者へ、また、人々を救いに導く者へと変えられて行くのです。
祈り:主よ!恐れや、目の前のわずかな利得のために、正しい道から離れつつあった罪を、今、悔い改めます。私を、真理を愛する者へと変えてください。
一言:ただ真理のために
「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。」(8)
I.今度そちらに行った時には、容赦はしません(1-4)
パウロは、前から罪を犯している人と、他のすべての人々に告げました。「今度そちらに行ったときには、容赦はしません。」 彼らは、使徒パウロは気が弱くて自分たちに対して強く言えないと思っていたようです。そのために、咎められても軽んじて、悔い改めようとしなかったのです。十字架で打ち砕かれたキリストは最も弱々しいもののようでした。しかし、彼は神様の力によって甦るのです。パウロも、また、極めてへりくだった生き方を選んだ柔和な者でした。しかし、彼は、今、力強く語っています(4)。キリスト御自身が、パウロのうちに在って語っておられるのです。
II.真理のためなら、何でもできるのです(5-13)
パウロは罪を犯す人々に厳然とした態度をとりました。それは、決して、自分の強さを過信していたからでも、牧者としての権威を現そうとしたからでもありません。パウロは、彼自身がたとえ捨てられた者のようであったとしても、彼らが正しい生き方を選び取ってくれることを望んでいました(7-9)。彼は証ししています。「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。」(8) 彼は、ただただ、この真理のために生きようとしました。彼は真理を愛しました。そして、その愛ゆえに、彼は、聖徒たちを耐え忍ぶ柔和な者へ、また、聖徒たちを悔い改めへと導く力強い者へと変えられたのです。真理のために生きようとするとき、その道には苦難と孤独が伴います。しかし、そうした生き方を選び取るとき、人は大いなる者へ、また、人々を救いに導く者へと変えられて行くのです。
祈り:主よ!恐れや、目の前のわずかな利得のために、正しい道から離れつつあった罪を、今、悔い改めます。私を、真理を愛する者へと変えてください。
一言:ただ真理のために
2006年10月25日 (水)
Ⅱコリント 12:11-21
「忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、あの奇蹟と不思議と力あるわざです。」(12)
I.兄弟たちに負担をかけなかったパウロ(11-13)
パウロは、にせ使徒たちによって純粋な信仰から迷い出た聖徒たちのために、自らの使徒としての確かさを証ししています。あの大使徒たちに比べて少しも劣るところはない理由を告げているのです。それは、忍耐を尽くしてなされた奇跡と不思議と力あるわざでした。パウロは聖徒たちの弱さも罪も耐え忍びました。彼らのために困難と苦しみを負いました。彼は幼い聖徒たちに負担をかけないようにと、財政的な支援を受けることなく、自ら働いて自費で宣教しました。それは、ほかの使徒たちと比べて資格が無かったからではありません。パウロには、使徒を自称する多くのものたちと同様の力としるしがありました。ですが、彼は、どこまでも耐え忍び、聖徒たちに仕えたのです。そして、この忍耐こそが、彼が使徒である何よりのしるしなのです。
II.財産ではなく、愛を求めたパウロ(14-21)
パウロは、三度目に彼らのところに行こうとしていました。その時も、やはり彼らに負担をかけさせないようにと願いました。彼が愛していたのは、彼らの財産ではなく、彼ら自身だったのです。パウロも、彼が遣わした者たちも、だれも、彼らに重荷を負わせたりはしませんでした。むしろパウロは、彼らのたましいのためならば、喜んで財を費やし、彼自身さえも使い尽くそうとさえしたのです(15)。
祈り:主よ!使徒としての証拠は、力や奇跡のようなもの以上に、何よりも、耐え忍ぶこと、分け与えることなのですね。このことを教えてくださり、本当にありがとうございます。
一言:耐え忍ぶ使徒、分け与える使徒
「忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、あの奇蹟と不思議と力あるわざです。」(12)
I.兄弟たちに負担をかけなかったパウロ(11-13)
パウロは、にせ使徒たちによって純粋な信仰から迷い出た聖徒たちのために、自らの使徒としての確かさを証ししています。あの大使徒たちに比べて少しも劣るところはない理由を告げているのです。それは、忍耐を尽くしてなされた奇跡と不思議と力あるわざでした。パウロは聖徒たちの弱さも罪も耐え忍びました。彼らのために困難と苦しみを負いました。彼は幼い聖徒たちに負担をかけないようにと、財政的な支援を受けることなく、自ら働いて自費で宣教しました。それは、ほかの使徒たちと比べて資格が無かったからではありません。パウロには、使徒を自称する多くのものたちと同様の力としるしがありました。ですが、彼は、どこまでも耐え忍び、聖徒たちに仕えたのです。そして、この忍耐こそが、彼が使徒である何よりのしるしなのです。
II.財産ではなく、愛を求めたパウロ(14-21)
パウロは、三度目に彼らのところに行こうとしていました。その時も、やはり彼らに負担をかけさせないようにと願いました。彼が愛していたのは、彼らの財産ではなく、彼ら自身だったのです。パウロも、彼が遣わした者たちも、だれも、彼らに重荷を負わせたりはしませんでした。むしろパウロは、彼らのたましいのためならば、喜んで財を費やし、彼自身さえも使い尽くそうとさえしたのです(15)。
祈り:主よ!使徒としての証拠は、力や奇跡のようなもの以上に、何よりも、耐え忍ぶこと、分け与えることなのですね。このことを教えてくださり、本当にありがとうございます。
一言:耐え忍ぶ使徒、分け与える使徒
2006年10月24日 (火)
Ⅱコリント 12:1-10
「なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(10)
I.パウロが見た啓示(1-6)
パウロは、自分が使徒であることを証しするために自らを誇ろうとはしませんでした。彼は、ただ、主が与えられた幻と啓示を証しします。彼は十四年前に第三の天にまで引き上げられました。そして、人間には語ることを許されていないことばを聞きました(4)。それは、実に、啓示でした。彼が、いつの日にかパラダイスへと引き上げられ、そこで受けるであろう栄光の幻だったのです。神様は、どんな困難の中にあっても福音を伝える労を厭わないパウロに、このような幻を見せてくださいました。パウロは敵対する人々のために、やむを得ず、神様が見せてくださった啓示のことを証ししました。しかし、決してそれを誇りはしませんでした。
II.パウロが持ったとげ(7-10)
パウロは、その肉体に、ある病を抱えていました。それが何であったのかは分かりません。しかし、パウロ自身が、「とげ」あるいは「サタンの使い」と言うほどまでに大きな苦痛を伴うものでした。パウロはこれを自分からさらせてくださるようにと、三度も主に願いました。しかし、主は言われました。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」(9)。パウロはこの御言葉を通して悟りました。自分の肉体にあるとげ、それは、自分が高ぶることのないようにと与えられたものなのだということを。そして自分が弱い、その時こそ、キリストの力が自らをおおうのだということを・・・。いまや、彼は自分の弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。たとえ、私たちに痛みと弱さがあったとしても、それを忌むべきものとするのではなく、むしろ誇ろうではありませんか。なぜなら私が弱い時にこそ、私は強いからです。
祈り:主よ!私が、自分の弱さと苦難の故に、悲しむばかりでした。しかし、この罪を悔い改めます。いまや、私は自らの弱さを誇りとし、喜びとします。
一言:私が弱い時にこそ、私は強いからです。
「なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(10)
I.パウロが見た啓示(1-6)
パウロは、自分が使徒であることを証しするために自らを誇ろうとはしませんでした。彼は、ただ、主が与えられた幻と啓示を証しします。彼は十四年前に第三の天にまで引き上げられました。そして、人間には語ることを許されていないことばを聞きました(4)。それは、実に、啓示でした。彼が、いつの日にかパラダイスへと引き上げられ、そこで受けるであろう栄光の幻だったのです。神様は、どんな困難の中にあっても福音を伝える労を厭わないパウロに、このような幻を見せてくださいました。パウロは敵対する人々のために、やむを得ず、神様が見せてくださった啓示のことを証ししました。しかし、決してそれを誇りはしませんでした。
II.パウロが持ったとげ(7-10)
パウロは、その肉体に、ある病を抱えていました。それが何であったのかは分かりません。しかし、パウロ自身が、「とげ」あるいは「サタンの使い」と言うほどまでに大きな苦痛を伴うものでした。パウロはこれを自分からさらせてくださるようにと、三度も主に願いました。しかし、主は言われました。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」(9)。パウロはこの御言葉を通して悟りました。自分の肉体にあるとげ、それは、自分が高ぶることのないようにと与えられたものなのだということを。そして自分が弱い、その時こそ、キリストの力が自らをおおうのだということを・・・。いまや、彼は自分の弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。たとえ、私たちに痛みと弱さがあったとしても、それを忌むべきものとするのではなく、むしろ誇ろうではありませんか。なぜなら私が弱い時にこそ、私は強いからです。
祈り:主よ!私が、自分の弱さと苦難の故に、悲しむばかりでした。しかし、この罪を悔い改めます。いまや、私は自らの弱さを誇りとし、喜びとします。
一言:私が弱い時にこそ、私は強いからです。
2006年10月23日 (月)
Ⅱコリント 11:6-33
「私の労苦は彼らよりも多く、・・・死に直面したこともしばしばでした。」(23)
I.苦難を誇るパウロ(16-28)
パウロは、にせ教師たちのように、人間的に誇ることもできたでしょう(18,22)。彼は、自分がキリストのために受けた苦難について告げています。それは、彼が本当のキリストの働き人であることを証しするためでした。パウロはキリストのために何度となく投獄され、何度もむち打たれ、伝道の旅の間に、何度も死に直面しました。盗賊やにせ兄弟に出会い、たびたび眠れぬ夜を過ごし、飢え渇きに苦しみ、寒さに凍え、裸でいたこともありました。そうした中でも、彼は兄弟たちを愛し、いつもすべての教会のことを心配していました(28)。つまづく兄弟のために心を激しく痛めていました。パウロはイエス様と兄弟たちのため、誰よりも多くの苦しみを経験しました。
II.自分の弱さを誇ったパウロ(29-33)
パウロは言います。「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」(30) 彼は、自分のように上手く話すこともできず、弱い者が用いられているという事実こそを、キリストが自分を使徒として立ててくださった何よりの証拠としたのです。パウロは、弱さの中にあって、ただただ主に頼り、力ある業を行ないました。彼を通して成された御業は、パウロ個人の能力によるものではなく、神様の力ある御業です。本当のキリストの働き人は自分自身を誇りません。キリストだけを誇るのです。
祈り:主よ!私が、使徒パウロのようにキリストと兄弟たちのためであれば、苦難を厭わないものでありますように、そして、ただ、あなただけを誇るものでありますように。
一言:苦難、それは、使徒の本当のしるし
「私の労苦は彼らよりも多く、・・・死に直面したこともしばしばでした。」(23)
I.苦難を誇るパウロ(16-28)
パウロは、にせ教師たちのように、人間的に誇ることもできたでしょう(18,22)。彼は、自分がキリストのために受けた苦難について告げています。それは、彼が本当のキリストの働き人であることを証しするためでした。パウロはキリストのために何度となく投獄され、何度もむち打たれ、伝道の旅の間に、何度も死に直面しました。盗賊やにせ兄弟に出会い、たびたび眠れぬ夜を過ごし、飢え渇きに苦しみ、寒さに凍え、裸でいたこともありました。そうした中でも、彼は兄弟たちを愛し、いつもすべての教会のことを心配していました(28)。つまづく兄弟のために心を激しく痛めていました。パウロはイエス様と兄弟たちのため、誰よりも多くの苦しみを経験しました。
II.自分の弱さを誇ったパウロ(29-33)
パウロは言います。「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」(30) 彼は、自分のように上手く話すこともできず、弱い者が用いられているという事実こそを、キリストが自分を使徒として立ててくださった何よりの証拠としたのです。パウロは、弱さの中にあって、ただただ主に頼り、力ある業を行ないました。彼を通して成された御業は、パウロ個人の能力によるものではなく、神様の力ある御業です。本当のキリストの働き人は自分自身を誇りません。キリストだけを誇るのです。
祈り:主よ!私が、使徒パウロのようにキリストと兄弟たちのためであれば、苦難を厭わないものでありますように、そして、ただ、あなただけを誇るものでありますように。
一言:苦難、それは、使徒の本当のしるし
2006年10月22日 (日)
Ⅱコリント 11:1-15
「自分を低くして報酬を受けずに神の福音をあなたがたに宣べ伝えたことが、私の罪だったのでしょうか。」(7)
I.知識についてまさるパウロ(1-6)
パウロは、聖徒たちが、にせの使徒たちに心を奪われてしまわないように願っていました。彼は、一見、愚かに思われるような自分の振る舞いの本心を、コリントの聖徒たちが分かってくれることを期待しました(1)。彼は、神様が抱いているのと同じ熱い思いで、彼らを愛しました(2a)。彼は、仲人のような気持ちでした。コリントの聖徒たちを清純な処女として、一人の夫、つまりキリストに捧げられるように導いたのは彼だったからです(2b)。彼は、自分について告白しています。「たとい弁舌はつたなくても、知識はそうでない。」(6)。パウロは、コリントの聖徒たちが、口先だけのにせの教師たちの誘惑に陥り、変質した福音を受け入れてしまうことを何よりも心配していました(4)。
II.報酬を受けずに福音を伝えたパウロ(7-15)
パウロは彼らから報酬を受けずに、彼らに仕えました。それは、彼が使徒としての資格を持たなかったからではありません。パウロは、彼らを高め、自分をしもべのように低くして、彼らに仕えていたのです(7)。彼は、自分も困窮していましたが、兄弟たちに負担をかけさせまいとしました(9)。そして、兄弟たちのために自分の権利を放棄しました。彼はイエス・キリストの真理に従い、兄弟たちを愛しました。彼は本物の牧者だったのです。ところが、にせの使徒たちは、「パウロには使徒の資格がないから、報酬を受けとらないのだ。」と言いいました。コリントの聖徒たちは、偽の使徒たちの言葉に心を奪われました。パウロは、このような彼らを、何とかして、ほんとうの福音に立ち返らせようと必死でした。
祈り:主よ!私が仕えられる権利を捨て去り、兄弟たちに負担をかけさせることなく、むしろ、彼らに仕える者でありますように。私を御助けください。
一言:権利を放棄して仕える者
「自分を低くして報酬を受けずに神の福音をあなたがたに宣べ伝えたことが、私の罪だったのでしょうか。」(7)
I.知識についてまさるパウロ(1-6)
パウロは、聖徒たちが、にせの使徒たちに心を奪われてしまわないように願っていました。彼は、一見、愚かに思われるような自分の振る舞いの本心を、コリントの聖徒たちが分かってくれることを期待しました(1)。彼は、神様が抱いているのと同じ熱い思いで、彼らを愛しました(2a)。彼は、仲人のような気持ちでした。コリントの聖徒たちを清純な処女として、一人の夫、つまりキリストに捧げられるように導いたのは彼だったからです(2b)。彼は、自分について告白しています。「たとい弁舌はつたなくても、知識はそうでない。」(6)。パウロは、コリントの聖徒たちが、口先だけのにせの教師たちの誘惑に陥り、変質した福音を受け入れてしまうことを何よりも心配していました(4)。
II.報酬を受けずに福音を伝えたパウロ(7-15)
パウロは彼らから報酬を受けずに、彼らに仕えました。それは、彼が使徒としての資格を持たなかったからではありません。パウロは、彼らを高め、自分をしもべのように低くして、彼らに仕えていたのです(7)。彼は、自分も困窮していましたが、兄弟たちに負担をかけさせまいとしました(9)。そして、兄弟たちのために自分の権利を放棄しました。彼はイエス・キリストの真理に従い、兄弟たちを愛しました。彼は本物の牧者だったのです。ところが、にせの使徒たちは、「パウロには使徒の資格がないから、報酬を受けとらないのだ。」と言いいました。コリントの聖徒たちは、偽の使徒たちの言葉に心を奪われました。パウロは、このような彼らを、何とかして、ほんとうの福音に立ち返らせようと必死でした。
祈り:主よ!私が仕えられる権利を捨て去り、兄弟たちに負担をかけさせることなく、むしろ、彼らに仕える者でありますように。私を御助けください。
一言:権利を放棄して仕える者






