2006年07月23日 (日)
マルコ 13:14-27
「そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。」(26)
I.最後の患難(14-23)
最後の患難は、「荒らす憎むべきもの」が立ってはならない所に立っている時に起こります(14)。主に繋がっていると思われた人々の間でも創造の秩序が破壊され、霊的な価値観が地に落ちるのです(ダニ9:27)。この時、前にも後にもない大患難が起こるというのです。その時、主にある者たちは世に対する未練を完全に捨て去らなければなりません(14-16)。神様の主権、神様の愛をしっかりとつかんで、祈りに徹するべきなのです(17-20)。しるしや不思議なことで惑わす、偽キリストに注意すべきです(21-23)。
II.人の子の再臨(24-27)
患難の後には、太陽は暗くなり、月は光を放たず、天の万象は揺り動かされます。イエス様が再臨されるのは、まさに、そのようなときです。イエス様は、雲に乗って偉大な力と栄光を帯びた王の王、主の主として来られます。再臨されるイエス様は天の御使いたちを送り、選びの民を地の果てから天の果てまで、集められます。
イエス様の再臨の日は、主に在る者たちには救いが完成する望みの日ですが、主に背を向ける人々には恐ろしいさばきの日となります。その日、私たちを長く苦しめる罪と死の勢力が滅び去ります。私たちは、たとえ患難の中に在っても、この最後の勝利の日を仰ぎ見る時、希望に満ち溢れて生きることができるのです。
祈り:主よ!私の主、あなたの再臨を慕い求めます。患難の日に、祈りに専心し、信仰によって生きて行きます。
一言:栄光に満ちた主を慕い求め
「そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。」(26)
I.最後の患難(14-23)
最後の患難は、「荒らす憎むべきもの」が立ってはならない所に立っている時に起こります(14)。主に繋がっていると思われた人々の間でも創造の秩序が破壊され、霊的な価値観が地に落ちるのです(ダニ9:27)。この時、前にも後にもない大患難が起こるというのです。その時、主にある者たちは世に対する未練を完全に捨て去らなければなりません(14-16)。神様の主権、神様の愛をしっかりとつかんで、祈りに徹するべきなのです(17-20)。しるしや不思議なことで惑わす、偽キリストに注意すべきです(21-23)。
II.人の子の再臨(24-27)
患難の後には、太陽は暗くなり、月は光を放たず、天の万象は揺り動かされます。イエス様が再臨されるのは、まさに、そのようなときです。イエス様は、雲に乗って偉大な力と栄光を帯びた王の王、主の主として来られます。再臨されるイエス様は天の御使いたちを送り、選びの民を地の果てから天の果てまで、集められます。
イエス様の再臨の日は、主に在る者たちには救いが完成する望みの日ですが、主に背を向ける人々には恐ろしいさばきの日となります。その日、私たちを長く苦しめる罪と死の勢力が滅び去ります。私たちは、たとえ患難の中に在っても、この最後の勝利の日を仰ぎ見る時、希望に満ち溢れて生きることができるのです。
祈り:主よ!私の主、あなたの再臨を慕い求めます。患難の日に、祈りに専心し、信仰によって生きて行きます。
一言:栄光に満ちた主を慕い求め
2006年07月22日 (土)
マルコ 13:1-13
「こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。」(10)
I.この大きな建物を見ているのですか(1-4)
イエス様の弟子のひとりが雄大な宮を見て驚きの声を上げました。しかしイエス様はこの大きく華麗なエルサレム神殿が徹底的に破壊されることを預言されました(2)。イエス様は外見の美しさや雄大さをご覧にならず、その中心の腐敗をご覧になり、神様のさばきが臨むことを警告されたのです。宮が破壊されるという預言を聞いて、ペテロを中心に、四人の弟子たちがイエス様に時代の前兆について、ひそかに質問しました(4)。彼らは、目に見えることではなく、霊的なことに、今の世ではなく、後の時代の前兆に関心を向けました。
II.福音がまずあらゆる民族に(5-13)
イエス様は世の終わりの前兆についてお話になりました。世の終わりには偽キリストが現れて人々を惑わします。内乱と戦争、地震、ききんなど、災難が絶えず起こります。それだけではなく神様を憎む者たちが増えて行き、本当の信仰を持つ人々を迫害します。信仰に生きる人々は、全ての人から憎まれ、親子や兄弟のつながりさえも断ち切られるような状況になるというのです(12)。
しかし、私たちは人に惑わされないように注意すべきです(5)。災難の知らせを恐れてはなりません。聖霊に頼り、最後まで耐え忍ぶべきなのです(11,13)。困難の中でも、落胆することなく、世界に御救いを告げ知らせて行くべきなのです(10)。イエス様は、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられて、その後に、世の終わりが来ると言われます。神様は歴史をつかさどられる御方であり、すべての人々を救いに導かれることを願いながら、此の世の歴史を動かされています。
祈り:主よ!私が、終末の前兆にとらわれることなく、どこまでも、あなたの救いを世の人々に宣べ伝えて行くことができますように、力を与えてください。
一言:福音がまずあらゆる民族に
「こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。」(10)
I.この大きな建物を見ているのですか(1-4)
イエス様の弟子のひとりが雄大な宮を見て驚きの声を上げました。しかしイエス様はこの大きく華麗なエルサレム神殿が徹底的に破壊されることを預言されました(2)。イエス様は外見の美しさや雄大さをご覧にならず、その中心の腐敗をご覧になり、神様のさばきが臨むことを警告されたのです。宮が破壊されるという預言を聞いて、ペテロを中心に、四人の弟子たちがイエス様に時代の前兆について、ひそかに質問しました(4)。彼らは、目に見えることではなく、霊的なことに、今の世ではなく、後の時代の前兆に関心を向けました。
II.福音がまずあらゆる民族に(5-13)
イエス様は世の終わりの前兆についてお話になりました。世の終わりには偽キリストが現れて人々を惑わします。内乱と戦争、地震、ききんなど、災難が絶えず起こります。それだけではなく神様を憎む者たちが増えて行き、本当の信仰を持つ人々を迫害します。信仰に生きる人々は、全ての人から憎まれ、親子や兄弟のつながりさえも断ち切られるような状況になるというのです(12)。
しかし、私たちは人に惑わされないように注意すべきです(5)。災難の知らせを恐れてはなりません。聖霊に頼り、最後まで耐え忍ぶべきなのです(11,13)。困難の中でも、落胆することなく、世界に御救いを告げ知らせて行くべきなのです(10)。イエス様は、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられて、その後に、世の終わりが来ると言われます。神様は歴史をつかさどられる御方であり、すべての人々を救いに導かれることを願いながら、此の世の歴史を動かされています。
祈り:主よ!私が、終末の前兆にとらわれることなく、どこまでも、あなたの救いを世の人々に宣べ伝えて行くことができますように、力を与えてください。
一言:福音がまずあらゆる民族に
2006年07月21日 (金)
マルコ 12:38-44
「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。」(43)
I.律法学者たちには気をつけなさい(38-40)
イエス様は弟子たちに、律法学者たちには気をつけるようにと言われました。彼らは長い衣をまとって歩き回りました。広場であいさつされることや、会堂の上座、宴会の上席を好みました。しかし彼らの内面は、やもめの家を食いつぶすような貪欲と、見栄のために長い祈りをする偽善で一杯でした(40)。こうした人々は神様から人一倍厳しい罰を受けるのです。
II.レプタ銅貨二枚を献金したやもめの信仰(41-44)
イエス様は献金箱に向かってすわり、人々が献金する様子を見ておられました。多くの金持ちは、これ見よがしに大金を投げ入れました。彼らは誰よりも多くをささげ、献身的な生活をしていることを誇っていたのです。しかし一人の貧しいやもめが、やっとの思いでレプタ銅貨二枚を入れました。彼女は神様に僅かなものしかささげることのできない自分に恥ずかしさを感じていました。人々もこのようなやもめの献金を軽んじていました。
しかしイエス様は弟子たちを呼び寄せて、この貧しいやもめが最も多くを捧げたのだと褒め称えました。それは、彼女は乏しい中から、自分の生活費全部をささげたからです(44)。このやもめには、神様が食べさせ着せてくださることを信じる信仰があり、すべてを捧げることができたのです。神様はささげたものの目に見える大小より、その心を御覧になっておられます。捧げられるものが僅かであっても、私たちの心を御捧げするならば、神様は、その信仰をご覧になり、喜んでくださるのです。
祈り:主よ!私は、形式的、あるいは偽善的に生きる罪に陥っていました。今、悔い改めます。貧しいやもめのように、自分自身をささげることができますように助けてください。
一言:みずからをささげる信仰
「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。」(43)
I.律法学者たちには気をつけなさい(38-40)
イエス様は弟子たちに、律法学者たちには気をつけるようにと言われました。彼らは長い衣をまとって歩き回りました。広場であいさつされることや、会堂の上座、宴会の上席を好みました。しかし彼らの内面は、やもめの家を食いつぶすような貪欲と、見栄のために長い祈りをする偽善で一杯でした(40)。こうした人々は神様から人一倍厳しい罰を受けるのです。
II.レプタ銅貨二枚を献金したやもめの信仰(41-44)
イエス様は献金箱に向かってすわり、人々が献金する様子を見ておられました。多くの金持ちは、これ見よがしに大金を投げ入れました。彼らは誰よりも多くをささげ、献身的な生活をしていることを誇っていたのです。しかし一人の貧しいやもめが、やっとの思いでレプタ銅貨二枚を入れました。彼女は神様に僅かなものしかささげることのできない自分に恥ずかしさを感じていました。人々もこのようなやもめの献金を軽んじていました。
しかしイエス様は弟子たちを呼び寄せて、この貧しいやもめが最も多くを捧げたのだと褒め称えました。それは、彼女は乏しい中から、自分の生活費全部をささげたからです(44)。このやもめには、神様が食べさせ着せてくださることを信じる信仰があり、すべてを捧げることができたのです。神様はささげたものの目に見える大小より、その心を御覧になっておられます。捧げられるものが僅かであっても、私たちの心を御捧げするならば、神様は、その信仰をご覧になり、喜んでくださるのです。
祈り:主よ!私は、形式的、あるいは偽善的に生きる罪に陥っていました。今、悔い改めます。貧しいやもめのように、自分自身をささげることができますように助けてください。
一言:みずからをささげる信仰
2006年07月20日 (木)
マルコ 12:28-37
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(30)
I.神様の愛と隣人愛(28-34)
律法学者のうちの一人が、イエス様がパリサイ人とサドカイ人の議論にみごとに答えられたのを見て、感銘を受けました。そこで、彼は日頃疑問に思っていたことをイエス様に質問しました。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」イスラエルには、十戒やモーセ五書のほかにも、言い伝えとして残されて来た戒めが多くありました。この全ての命令の中で、どれが一番大切な命令なのでしょうか。
一つ目は、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」です(30)。そして二つ目は、「あなたの隣人をあなた身のように愛せよ。」です(31)。このような神様への愛と隣人愛が全ての律法の根底にあるのです。このような愛を学び行おうとする時、はじめて、すべての律法は生きたものとなるのです。律法を条目ごとに全て守ったとしても、そこに愛がなければ、単なる形式に過ぎず、偽善的な生活でしかありません。私たちは律法自体ではなく、その根底にある愛の戒めにこそ、目を向けるべきなのです。
II.ダビデの主、イエス・キリスト(35-37)
当時の律法学者たちは、キリストを、ダビデの子として考えました。つまりダビデのような一人の政治家として期待したのでした。しかしイエス様は詩篇の御言葉を引用して、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どういうわけでキリストがダビデの子なのか、と証しされます(37)。キリストはダビデの主であり、全能なる神様と等しい御方なのです。
祈り:主よ!あなたの救いの愛で、私を満たしてください。心を尽くしてあなたを愛し、また、兄弟を愛する者となるように。
一言:主を愛し、隣人を愛する
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(30)
I.神様の愛と隣人愛(28-34)
律法学者のうちの一人が、イエス様がパリサイ人とサドカイ人の議論にみごとに答えられたのを見て、感銘を受けました。そこで、彼は日頃疑問に思っていたことをイエス様に質問しました。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」イスラエルには、十戒やモーセ五書のほかにも、言い伝えとして残されて来た戒めが多くありました。この全ての命令の中で、どれが一番大切な命令なのでしょうか。
一つ目は、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」です(30)。そして二つ目は、「あなたの隣人をあなた身のように愛せよ。」です(31)。このような神様への愛と隣人愛が全ての律法の根底にあるのです。このような愛を学び行おうとする時、はじめて、すべての律法は生きたものとなるのです。律法を条目ごとに全て守ったとしても、そこに愛がなければ、単なる形式に過ぎず、偽善的な生活でしかありません。私たちは律法自体ではなく、その根底にある愛の戒めにこそ、目を向けるべきなのです。
II.ダビデの主、イエス・キリスト(35-37)
当時の律法学者たちは、キリストを、ダビデの子として考えました。つまりダビデのような一人の政治家として期待したのでした。しかしイエス様は詩篇の御言葉を引用して、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どういうわけでキリストがダビデの子なのか、と証しされます(37)。キリストはダビデの主であり、全能なる神様と等しい御方なのです。
祈り:主よ!あなたの救いの愛で、私を満たしてください。心を尽くしてあなたを愛し、また、兄弟を愛する者となるように。
一言:主を愛し、隣人を愛する
2006年06月27日 (火)
イザヤ書 13:1-14:23
「わたしは、・・・不遜な者の誇りをやめさせ、」(11)
I.バビロンをさばかれた神様(13章)
バビロンはイザヤの当時、小さな国でしたが、次第に国力を増し、強大国になりました。しかし、このような強大国も、驕り高ぶったため、滅びに至るのです。神様は、怒りの兵器、メデとバシャを道具として、バビロンを滅ぼされます(4,5)。バビロンは残酷な日と、激しい怒りとによって、ひどく驚き、苦しみと悲しみに襲われ、子を産む女が身もだえするような姿となります。家は略奪され、幼子たちは八裂きにされ、妻は辱めを受けます。そしてついには、ソドム、ゴモラのように悲惨な最期を遂げるのです(19)。神様の怒りは恐ろしく、完全なものです。
II.不遜と横暴を罰せられる神様(14章)
バビロンは、なぜ、このような恐ろしいさばきを受けるようになったのでしょうか。それは、彼らが無慈悲で、横暴だったからです(4-6)。また、彼らが神様より自分が高いという驕りを持つようになったためです(13,14)。神様はこのような不遜と横暴を忌み嫌われます。神様は不遜な者の誇りと横暴な者の高ぶりを終わらせる御方です(13:11)。そして、彼らはよみに落とされ、うじが敷かれ、虫けらがおおうような最後を迎えるのです(11)。
歴史上で、不遜な国々、横暴な国々の末路はどうなったでしょう。少し力を持ったことで、弱小民族に対して横暴になった国々は必ず恐ろしい神様のさばきを受けるのです。これは歴史が示す事実です。
祈り:主よ!今日の大国がバビロン帝国を鏡とし、あなたの御前にへりくだることができますように。私の高ぶる心を悔い改めます。へりくだった心を御与えください。
一言:へりくだった心
「わたしは、・・・不遜な者の誇りをやめさせ、」(11)
I.バビロンをさばかれた神様(13章)
バビロンはイザヤの当時、小さな国でしたが、次第に国力を増し、強大国になりました。しかし、このような強大国も、驕り高ぶったため、滅びに至るのです。神様は、怒りの兵器、メデとバシャを道具として、バビロンを滅ぼされます(4,5)。バビロンは残酷な日と、激しい怒りとによって、ひどく驚き、苦しみと悲しみに襲われ、子を産む女が身もだえするような姿となります。家は略奪され、幼子たちは八裂きにされ、妻は辱めを受けます。そしてついには、ソドム、ゴモラのように悲惨な最期を遂げるのです(19)。神様の怒りは恐ろしく、完全なものです。
II.不遜と横暴を罰せられる神様(14章)
バビロンは、なぜ、このような恐ろしいさばきを受けるようになったのでしょうか。それは、彼らが無慈悲で、横暴だったからです(4-6)。また、彼らが神様より自分が高いという驕りを持つようになったためです(13,14)。神様はこのような不遜と横暴を忌み嫌われます。神様は不遜な者の誇りと横暴な者の高ぶりを終わらせる御方です(13:11)。そして、彼らはよみに落とされ、うじが敷かれ、虫けらがおおうような最後を迎えるのです(11)。
歴史上で、不遜な国々、横暴な国々の末路はどうなったでしょう。少し力を持ったことで、弱小民族に対して横暴になった国々は必ず恐ろしい神様のさばきを受けるのです。これは歴史が示す事実です。
祈り:主よ!今日の大国がバビロン帝国を鏡とし、あなたの御前にへりくだることができますように。私の高ぶる心を悔い改めます。へりくだった心を御与えください。
一言:へりくだった心






