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奥知れず深い神様の知恵
ローマ 11:25-36

 「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。」(33)

I.世の全ての人々に置かれた神様の御旨(25-32)
 イスラエルはイエス様に対してかたくなでした。神様の約束は成し遂げられないかのように見えました。しかしここには秘密がありました。彼らをかたくななまま置かれたのは、その間に異邦人の完成のなる時まででした。そして異邦人の完成のなった時、かたくなだったイスラエルが異邦人たちを妬み、彼らも福音を悟り、救いを得るようになるのです。だから神様はイスラエルのかたくなな心や妬みを用いられて、「イスラエルはみな救われる」という約束を成し遂げられたのです。神様は、ご自分が召された者がかたくなだからと言って、その召されを後悔されません(32)。神様は召された者を必ず救われます。

II.神様の知恵を賛美するパウロ(33-36)
 パウロは同族イスラエルが救いを受けられないことによって、大きな悲しみと苦痛の中にいました。しかしイスラエルのかたくなな心を通して、異邦人を救われ、異邦人の救いを通してイスラエルを救われ、そうしてすべての人類を救おうとされる神様の大きな計画を知り、神様を賛美します。「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」神様の大きな計画と知識は人間の小さな頭では測り知れません。私たちは、ただ神様の知恵と知識の富を賛美するだけです。

祈り:主よ!全人類に向けられたあなたの計画の前には、ただ感謝と賛美をささげるだけです。

一言:ああ、主よ。あなたの知恵は何と深いことでしょう。
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オリーブの根のたとえ
ローマ 11:13-24

 「そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、」(17)

I.栄光ある務め(13-15)
 使徒パウロは異邦人の使徒としての自分の務めを重んじています。自分の同族も、異邦人たちが救いを得ることを見て、これをねたみ、同様にイエス様を信じて救いを得るようにと願っていたのです。その願い故に、彼は自分の務めを重んじ、さらに熱心に異邦人たちに福音を伝えました。彼は同族から迫害を受けましたが、同族の救いの望みを捨てず、自分の務めを重んじました。

II.異邦人に移されました(16-24)
 異邦人たちは、イスラエルの民が創造主である神様に仕え、律法の教えを受けている時、虚しい偶像に仕えていました。彼らは野生種のオリーブのように無益な罪の実ばかりを結び、さばきを受けるはずであったのです。しかし、そのような彼らがイエス様を受け入れ、オリーブであるイエス様につぎ合わされたのです。これは、ただ神様の恵みです。
 ですから高ぶってはいけません。神様は憐れみ深い方ですが、また厳しい方です。イスラエルが神様の民たちであったのに、彼らが驕り高ぶったが故に、神様は彼らをお捨てになったではありませんか。また捨てられた彼らがイエス様を信じれば、再びつぎ合わすこともできるのです。イスラエルか、異邦人かが問題ではありません。驕り高ぶるか、へりくだるかの問題なのです。異邦人でありながら救いを受けた私たちは、ただ主の御前にへりくだり、救いの恵みに感謝しつつ歩んで行きましょう。

祈り:主よ!あなたは、野生のオリーブだった私たちを救われ、オリーブの枝としてつぎ合わせてくださいました。私はこの御恵みを覚え、恵みの中で生きて行きます。

一言:オリーブにつなぎ合わされた私
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残された者
ローマ 11:1-12

 「今も、恵みの選びによって残された者がいます。」(5)

I.イスラエルの残された者(1-10)
 イスラエルはキリストを退けたことの故、倒されました。では、神様はご自分の約束を破り、ご自分の民を退けてしまわれたのでしょうか。使徒パウロは断固として「そんなことはありません。」と言います。一つには、使徒パウロ自身、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン族の出身であることが、その証です。
 神様はどんな時代にも残された者を備えられます。彼らを通して働かれます。エリヤの時代、アハブとイゼベルが主の祭壇を壊し、全ての民が、バアルにひざをかがめるようにさせました。この時、エリヤは神様に訴え、なぜじっとしておられるのか・・・と言いました。すると神様はおこたえになられたのです。「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」と。
 イスラエルは神様に背を向けたが故に倒されました。しかし主に在る者は、必ず残されています。そして、神様御自身が、彼らを通して御業を成し遂げられるのです。神様は決して私たちをお見捨てにはなりません。

II.イスラエルの回復への望み(11,12)
 イスラエルは倒され、神様に御業はまるで失敗したかのようです。しかしイスラエルが倒されたことを通して、救いは、異邦人へと広がって行きます。それは、異邦人の救いによって、イスラエルにねたみを起こさせ、彼らも、またイエス様を信じ、救いを得るようにという神様の御計画でした。神様の御業に失敗は無く、全ては計画のうちにあります。

祈り:主よ!あなたには失敗がありません。私を御守りください。信仰によって生き抜き、この時代の残された者となれますように。

一言:主に在って失敗はない
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良いことの知らせを伝える人々の足は
ローマ 10:14-21

 「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」(15)

I.りっぱな足(14,15)
 イエス様を信じれば救いを受けます。そして、この信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについての御言葉によるものです(17)。神様は救いの御業を福音伝道を通して成されているのです。
 ですから人々が救いを得るためには御言葉を伝えなければなりません。神様は宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められました(Ⅰコリ1:21)。私たちは時を得ても得られなくても、御言葉を伝えることに力を注ぐべきです。御言葉を伝えることはイエス様の至上命令なのです。神様がご覧になる時、もっともりっぱなものは御言葉を伝える人々の足です。

II.一日中、手を差し伸べておられる神様(16-21)
 私たちが御言葉を伝えたからと言って、みなが聞き従うのではありません。イスラエルは御言葉を聞くには聞きましたが、信じませんでした。彼らが聞くことができずに信じなかったのでしょうか。違います。神様の御言葉は地の果てにまで届きました(18)。では彼らが御言葉を理解することができずに、信じることができなかったのでしょうか。違います。神様の民ではない、異邦人たちのような無知の民も理解し、求めない者に見いだされ、たずねない者に現されました(19,20)。彼らは神様の御言葉が理解できなかったり、難しくて信じなかったのではなく、傲慢から信じませんでした。ところが神様は傲慢なイスラエルまで立ち帰るように、一日中、手を差し伸べておられます。

祈り:主よ!私が自分の置かれた状況のせいにして、御言葉を伝えることを怠っていたことを悔い改めます。私を御用いください。福音の御言葉を伝えるりっぱな足としてください。

一言:りっぱな足
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救いに至る道
ローマ 9:30-10:13

 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(10:13)

I.神様の義に従わないイスラエル(9:30-10:4)
 使徒パウロは、イスラエルが救いを得るようにと、切実に祈っていました。イスラエルは神に対して熱心ではありましたが、本当の知識を追い求めようとせず、自分たちが作り出した律法と言い伝えを追い求めていました。彼らは神様の義を知りませんでした。それ故に、熱心であればあるほど、結果的に神様の義から遠ざかることとなってしまったのです(3)。神様の義とは、すなわちイエス・キリストです。キリストは律法を終わらせました(4)。思いのままに律法を追い求めるのではなく、ただ、キリスト・イエスを信じるべきなのです。

II.救いに至る道(5-13)
 この世の多くの人々は、救われるためには超人的な能力や節制、苦行が必要だと考えます(6,7)。しかし、それでは誰も救いを得ることができません。人には限界があるのです。
 救いの道は遠いところにあるのではありません。信仰の御言葉、すなわち聖書にあります。また救いの道は難しくはありません。ただ、イエス様が私の罪によって死なれた私の救い主であることを告白し、また神様がイエス様を死んだ者の中から甦らせたのだという事実を受け入れるならば、私たちには救いがおとずれるのです。たとえ、どれほど超人的な能力と節制と苦行をしたとしても、イエス様を信じない者は辱めを受けるに至ります。

祈り:主よ!私は、神様の義であるイエス・キリストを信じて聞き従うことなく、自分なりの熱心で生きてきたことを悔い改めます。ただ、あなたを信じ、あなたに付いて行くことができますように、私を導いてください。

一言:心で信じ、口で告白して
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