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空の墓
ヨハネ 20:1-9

I.空の墓(1-7)
 週の初めの日に、マグダラのマリヤはイエス様の墓が空になっているのを発見しました(1)。ペテロとヨハネも空の墓、そして死体を包んでいた亜麻布と頭に巻かれていた布切れが他の場所に置いてあるのを発見しました(7)。
 これはイエス様がご自身の復活を知らせるために残して置いた唯一の証拠です。イエス様の死体を誰かが盗んでいったのであれば、なぜ亜麻布をほどいていたのか、頭の布切れはなぜ巻かれたままになっていたのでしょうか。それで空の墓はイエス様の復活を証しする重要な場所なのです。

II.復活を信じる二人の弟子(8,9)
 ペテロとヨハネは空の墓、亜麻布、頭の布切れを見て、イエス様の復活を信じました(8)。誰かが死体を盗んでいったのではなく、主が再びよみがえられたという歴史的な事実を信じるようになったのです。彼らの信仰は聖書の御言葉に基づいたものではありませんでした(9)。またイエス様がどんな体でよみがえったのかも分かりませんでした。しかし歴史的なできごととして、イエス様の復活を信じました。
 この信仰は大変貴い信仰です。なぜなら復活の歴史性の上に私たちクリスチャンの復活も、神様の御国も建てられているからです。イエス様の復活は作り出されたものではなく、歴史的な事実なのです。

祈り:主よ!あなたがよみがえられたこと、そのこと故に、あなたは私のキリストです。あなたが初穂としてよみがえられた、そのことの故に、私も、再びよみがえり、永遠の神様の御国に導かれることを確信することができるのです。

一言:キリストの復活という歴史的事実
カテゴリ:新約聖書::ヨハネの福音書

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十字架につけられたイエス様
ヨハネ 19:23-30

 「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した。』と言われた。」(30)

I.十字架につけられたイエス様(19-23)
 罪のないイエス様はむち打たれ、いばらで裂かれました(19:1)。死刑場につれて行かれ、十字架につけられました(19)。十字架につけられ、死なれるイエス様の苦痛を想像してみましょう(詩22:14,15)。
 では、なぜ罪のないイエス様がこのような苦痛を受けられたのでしょうか。イエス様はその体で世の罪を背負われたのです(Ⅰペテ2:34)。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされたのです(ガラ3:13,イザ53:4-6)。

II.「完了した」と言われたイエス様(28-30)
 十字架の苦痛が頂点に達した時、イエス様は全てのことがみな完了したのを知って、聖書の御言葉を成就させるために、「わたしは渇く。」と言われました。イエス様は最後の瞬間までも、渾身をこめて、御言葉に聞き従われました(28)。
 そしてイエス様が息を引き取る直前に「完了した。」と言われました。この御言葉には「みな返済した。」という意味があります。イエス様が私たちの罪の代価をみな支払われ、救いの御業を完成させたという意味です。こうして私たちの罪はきよく赦され、完全な救いを受けるようになったのです(ロマ3:25,エレ31:34)。

祈り:主よ!この虫けらのような罪人のために、あなたが十字架につけられ死なれた、その愛に心震えずにはいられません。私があなたの御恵みを少しでも受け止めることができるように御助けください。

一言:御子の御体が、私のために
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神は実に世を愛された
ヨハネの福音書 3:16-16

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(16)

I.ひとり子をお与えになった神様(16a)
 人々は神様の御言葉に聞き従わずに堕落するようになりました。聖なる神様のご性質を離れ、醜く汚れるようになり、罪を犯すことによって神様に敵対し、神様を捨てました。神様はこのような人々をさばくしかありませでした。
 しかし神様はそのような人々を愛されました。言葉だけの愛ではありません。ただ一人しかないその御子イエス様をお与えになりました。神様の愛は愛することのできない者に対する愛であり、無限の愛です。イエス様の誕生は、神様が私たち人間を変わらずに愛してくださるという確かな証拠であり、さばきを受けるしかない人々の唯一の望みです。

II.永遠のいのちをくださった神様(16b)
 神様がひとり子をお与えになった目的は、御子を信じる者が滅びることなく、永遠のいのちを持つためでした。人は生きていますが、そのたましいは罪によって死んでいます。しかし永遠のいのちは人に活気にあふれる人生、やりがいのある幸福な人生を生きるようにしてくれます。それだけではなく、将来神様の御国で永遠に主と共に生きるようにしてくれます。
 私たちがどのようにして永遠のいのちを得ることができるのでしょうか。「御子を信じる者」は永遠のいのちを持つと約束されます。どんな罪人であっても、信じさえすれば、神様は何の条件もなしに永遠のいのちをお与えになるのです。

祈り:主よ!当然さばきを受けるしかない罪人のために、ひとり子を惜しまずにくださり、また永遠のいのちをくださって感謝します。

一言:イエス様をくださった神様の愛

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人となられたイエス様
ヨハネの福音書 1:14-18

 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(14)

I.人として来られたイエス様(14a)
 イエス様は神様の永遠の御言葉です。ところが人々の間に住まわれるために人となってこの地に来られました。神様のかたちを失い、肉になってしまった人間を救うために、イエス様はつらい肉の体を着られました。イエス様はいと高き方ですが、最も低くなられ、最も栄光ある方でしたが、最もみじめな姿になられました。神の御子ですが、仕えられることより、すべての人々に仕えることを喜ばれました(マコ10:45)。イエス様がこのように低くなられたのは人々の苦しみと悲しみを分かち合うためであり、私たちの弱さと罪を自ら背負われるためです。イエス様が私たちと共におられるので、私たちは寂しくなく、悲しくありません。このイエス様がおられるため、私たちは力みなぎる生活をすることができるのです。

II.恵みとまことが満ちておられたイエス様(14b-18)
 イエス様の弟子たちは人となって世に来られたイエス様から神様の栄光を見、恵みとまことが満ちておられるのを見ました(14)。神様はモーセを通して律法をお与えになりましたが、イエス様を通して恵みとまことをお与えになりました。イエス様を信じれば救いの恵みを得て、神様の子どもになる特権が与えられます(12)。また神様と、自分と、世の中と、世に住む知恵に対するまことを得ることができるのです。

祈り:主よ!この罪人を救うために人となって来られたことを感謝します。私が主を信じるので、主の満ち溢れる恵みとまことを得るように助けてください。

一言:人となって来られたイエス様

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今からは決して罪を犯してはなりません
ヨハネの福音書 8:1-11

 「彼女は言った。『だれもいません。』そこで、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。』」(11)

I.罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。(1-9)
 イエス様が御言葉を教え始められた時、パリサイ人たちが姦淫の場で捕らえられた女を連れて来ました。彼らは、「モーセはこういう女を石打にするように命じていますが、あなたは何と言われますか。」と問いました。それはイエス様を陥れるためでした。もしイエス様が石打ちにしてはならないと言えば、モーセの律法を否定したことにより宗教裁判に訴えるつもりだったのです。
 イエス様はそれをご存知でした。そして彼らに言われました。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(7)。この御言葉を聞いたパリサイ人たちは年長者たちから若者まで良心の呵責を覚え、その場を離れ去りました。人はみな罪人です(ロマ3:10)。人はみな悔い改めへと招かれている存在です。そして、他の人を罪に定めることはできません。

II.今からは決して罪を犯してはなりません(10-11)
 イエス様は神様の御子です。ただひとり罪のない御方です。イエス様は、姦淫の場で捕らえられて来た女を罪に定め、さばくことができるのです(ヨハ5:27)。しかしイエス様は、その女に宣言されました。「わたしもあなたを罪に定めない。」それは、女に罪がないからではありません。イエス様は、十字架で御自身を犠牲にされ、その女が受ける罪ののろいを身代わりとして背負ったのです(Ⅰペテ2:24)。そして、イエス様は告げられました。「行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」罪の赦しを受けたとき、人は新しい命を得ます。その人は、キリストの犠牲の上に生きるのです。新しい生、聖なる命へと導かれるのです。

祈り:主よ!去る一年のうち、私が犯した罪を御赦しください。そして、新しい年に、私が、あなたから命を受けたものとしてふさわしい歩みを続けて行くことができますように導いてください。

一言:決して罪を犯してはなりません

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