2008年03月30日 (日)
Iコリント 15:50-58
「しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(57)
I.死よ、おまえの勝利はどこにあるのか(50-17)
死は全人類の上に君臨して来ました。人々は死を恐れ、どうすることもできずに、卑しく罪深い生活をしながらも、死なないように地団駄を踏みましたが、終には死んで行きました。しかしその日、キリストが再び来られる日には、死の力は滅ぼされます。罪と律法も、完全にその力を失うのです。
今、パウロは甦りへの希望に満たされて、勝利を叫びます。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(55)。この確信を持つ時、人は死の恐れから自由になるのです。
II.主のわざに励みなさい(58)
この世は、私たち聖徒たちを、さまざまなかたちで惑わしています。このような誘惑の前で、甦りを信じる信仰は動揺し、いつしか虚しいものを追っていることがあります。将来への恐れのために、自分のことばかりを考え、主の御業に無関心になることもあるでしょう。しかしこの世はしばらくの間だけで、この世の全てのものは結局は虚無に帰すのです。永遠の天の御国に持って行けるものは、主への信仰と愛だけです。つまりは、この世で虚しくないのは、信仰による働きだけなのです。主の甦りを信じて揺れ動かされることなく、いつも主のわざに励もうではありませんか。
祈り:主よ!あなたは、死の力を打ち砕き、最後の勝利をもたらす御方です。このことを覚えて感謝します。私を、ただただ、あなたの御業に励むものとして御用いください。
一言:勝利をもたらされる御方
「しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(57)
I.死よ、おまえの勝利はどこにあるのか(50-17)
死は全人類の上に君臨して来ました。人々は死を恐れ、どうすることもできずに、卑しく罪深い生活をしながらも、死なないように地団駄を踏みましたが、終には死んで行きました。しかしその日、キリストが再び来られる日には、死の力は滅ぼされます。罪と律法も、完全にその力を失うのです。
今、パウロは甦りへの希望に満たされて、勝利を叫びます。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(55)。この確信を持つ時、人は死の恐れから自由になるのです。
II.主のわざに励みなさい(58)
この世は、私たち聖徒たちを、さまざまなかたちで惑わしています。このような誘惑の前で、甦りを信じる信仰は動揺し、いつしか虚しいものを追っていることがあります。将来への恐れのために、自分のことばかりを考え、主の御業に無関心になることもあるでしょう。しかしこの世はしばらくの間だけで、この世の全てのものは結局は虚無に帰すのです。永遠の天の御国に持って行けるものは、主への信仰と愛だけです。つまりは、この世で虚しくないのは、信仰による働きだけなのです。主の甦りを信じて揺れ動かされることなく、いつも主のわざに励もうではありませんか。
祈り:主よ!あなたは、死の力を打ち砕き、最後の勝利をもたらす御方です。このことを覚えて感謝します。私を、ただただ、あなたの御業に励むものとして御用いください。
一言:勝利をもたらされる御方
2005年07月28日 (木)
テサロニケ人への手紙第一 5:12-28
パウロは、テサロニケ人への手紙の最後を、お願いの言葉で閉じています。ここで、私たちは、恵みの中で生きる秘訣、信仰者の生き方について教えられます。
I.訓戒してくれる人々を敬いなさい(12,13)
私たちは、私たちの間で労苦し、主の御心に従って、私達を指導し訓戒してくれる牧者を愛し、敬うべきです。牧者との間の平和を乱すなら、それは大きな霊的損失をもたらすからです。
II.弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい(14,15)
私たちは我がままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容であるべきです。悪をもって悪に報いないように気をつけるべきです。悪によって悪に打ち勝つことはできず、ますます悪に支配されてしまいます。 私たちは、いつも善を追い求めていくべきなのです。
III.神様が私達に望まれる三つのこと(16-28)
キリスト・イエスにあって、神様が私たちに望んでおられる三つのことがあります。それは、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事について、感謝して生きていくことです。これは、自分にとって喜ばしいことが起こったときだけ喜び、感謝するということではありません。自分にとってマイナスに思われるような出来事に直面しても、すべてを益とされる神様の御計画を信じることです。不平不満や悲しみを捨て、感謝と喜びを選び取ることです。これこそが信仰者の生き方であり、そのような生き方は、他の人々にも恵みをもたらすものとなります。
私たちは聖霊を消してはならず、預言をないがしろにしてはいけません。そして、すべてのことにおいて、良いものを見分けて堅く守り、あらゆる悪から遠ざかるべきです。
祈り:主よ!不平不満や悲しみに囚われがちであったことを悔い改めます。いつも喜び、絶えず祈り、すべての事について、感謝する者となれるように御助け下さい。
一言:恵みの中で生きる
パウロは、テサロニケ人への手紙の最後を、お願いの言葉で閉じています。ここで、私たちは、恵みの中で生きる秘訣、信仰者の生き方について教えられます。
I.訓戒してくれる人々を敬いなさい(12,13)
私たちは、私たちの間で労苦し、主の御心に従って、私達を指導し訓戒してくれる牧者を愛し、敬うべきです。牧者との間の平和を乱すなら、それは大きな霊的損失をもたらすからです。
II.弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい(14,15)
私たちは我がままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容であるべきです。悪をもって悪に報いないように気をつけるべきです。悪によって悪に打ち勝つことはできず、ますます悪に支配されてしまいます。 私たちは、いつも善を追い求めていくべきなのです。
III.神様が私達に望まれる三つのこと(16-28)
キリスト・イエスにあって、神様が私たちに望んでおられる三つのことがあります。それは、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事について、感謝して生きていくことです。これは、自分にとって喜ばしいことが起こったときだけ喜び、感謝するということではありません。自分にとってマイナスに思われるような出来事に直面しても、すべてを益とされる神様の御計画を信じることです。不平不満や悲しみを捨て、感謝と喜びを選び取ることです。これこそが信仰者の生き方であり、そのような生き方は、他の人々にも恵みをもたらすものとなります。
私たちは聖霊を消してはならず、預言をないがしろにしてはいけません。そして、すべてのことにおいて、良いものを見分けて堅く守り、あらゆる悪から遠ざかるべきです。
祈り:主よ!不平不満や悲しみに囚われがちであったことを悔い改めます。いつも喜び、絶えず祈り、すべての事について、感謝する者となれるように御助け下さい。
一言:恵みの中で生きる
2005年07月27日 (水)
テサロニケ人への手紙第一 4:13-5:11
テサロニケの教会員たちの中には、聖徒の死に絶望し、悲しみに沈んでいる人々がいました。それは彼らがイエス様が再び来られることを確信していなかったからです。そのような彼らに、パウロは主に在る人々の望みが何であるのかを説き明かしています。
I.このことばをもって互いに慰め合いなさい(4:13-18)
イエス様は再び来られ、聖徒たちは甦ります。しかし、このことを信じない人々には終末に対する望みがなく、ただ悲しみ絶望するばかりです。それは死が人生の終わりであると考えているためです。
しかしイエス様は、必ずまた来ると約束されました。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神様のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られるのです。その日は、信仰に生きず、自我の望むままに生きていた人には裁きの日であり、主に在る人々には望みの日です。その時、死者は甦り、そして、生き残っている者は空中に引き上げられ、主に会い、いつまでも主とともにいることになります。これこそが、主に在る私たちの望みなのです。
II.目をさまして、慎み深くしていましょう(5:1-11)
世に属する人々は、肉の欲望のままに生き、「平和だ。安全だ。」と言って、畏れ慎みもなく暮らしています。しかし、滅びは突如として襲いかかります。眠っている人々にとって、その日は、盗人のように不意にやってくるのです。しかし、私たちは光の子どもです。私たちは霊的に覚醒し、父なる神の光の中を歩んでいきましょう。信仰と愛の胸当てを身に付け、救いの望みのかぶとをかぶって、慎んで生きていきましょう。
祈り:主よ!再び来られるあなたを待ち望み、目を覚まして、慎み深く生きていけますように、この私を導いてください。
一言:再び来られる望み
テサロニケの教会員たちの中には、聖徒の死に絶望し、悲しみに沈んでいる人々がいました。それは彼らがイエス様が再び来られることを確信していなかったからです。そのような彼らに、パウロは主に在る人々の望みが何であるのかを説き明かしています。
I.このことばをもって互いに慰め合いなさい(4:13-18)
イエス様は再び来られ、聖徒たちは甦ります。しかし、このことを信じない人々には終末に対する望みがなく、ただ悲しみ絶望するばかりです。それは死が人生の終わりであると考えているためです。
しかしイエス様は、必ずまた来ると約束されました。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神様のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られるのです。その日は、信仰に生きず、自我の望むままに生きていた人には裁きの日であり、主に在る人々には望みの日です。その時、死者は甦り、そして、生き残っている者は空中に引き上げられ、主に会い、いつまでも主とともにいることになります。これこそが、主に在る私たちの望みなのです。
II.目をさまして、慎み深くしていましょう(5:1-11)
世に属する人々は、肉の欲望のままに生き、「平和だ。安全だ。」と言って、畏れ慎みもなく暮らしています。しかし、滅びは突如として襲いかかります。眠っている人々にとって、その日は、盗人のように不意にやってくるのです。しかし、私たちは光の子どもです。私たちは霊的に覚醒し、父なる神の光の中を歩んでいきましょう。信仰と愛の胸当てを身に付け、救いの望みのかぶとをかぶって、慎んで生きていきましょう。
祈り:主よ!再び来られるあなたを待ち望み、目を覚まして、慎み深く生きていけますように、この私を導いてください。
一言:再び来られる望み
2005年07月26日 (火)
テサロニケ人への手紙第一 4:1-12
今日の御言葉は、神様を喜ばせる聖徒らの生活がどのようなものであるのかを三つに分けて教えています。
I.聖潔を得させるために(1-8)
主に在る私たちが、まず目指すべきは、イエス様のように聖く生きていくことです。神様は、イエス・キリストの血潮という代価を払って私たちを買い取ってくださいました。それは、私たちが聖くなるためです。ですから、私たちは不品行を避け、自分のからだを、また、自分の妻を、聖く、尊く保つべきです。異邦人のように情欲におぼれて、不倫を行なうような者はさばきを受けるのです。神様は私たちを召されました。それは、汚れたことをさせるためではなく、聖めるためです。ですから、この警告を拒むということは、神様を拒んでいるのです。
II.さらに兄弟を愛しなさい(9,10)
テサロニケの聖徒たちは互いに愛し合っていました。もはや、パウロが、兄弟愛については何も書き送る必要がないほどでした。しかしながら、パウロは「ますますそうであってください」と勧めています。私たちが、どれだけお互いに愛し合ったとしても、十分過ぎるということはないからです。
III.自分の手で働きなさい(11,12)
聖徒たちは自分の仕事に身を入れ、自分の責任を果たすべきです。人が自分の働きを担うとき、外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また、生活の必要が満たされるからです。
祈り:主よ!あなたを喜ばせる生き方から離れていたことを悔い改め、もう一度、聖なる生き方へと立ち返ります。兄弟を愛し、また、自分の働きをまごころを持って担うことができるようにお導きください。
一言:神様の御旨は私たちが聖く生きること
今日の御言葉は、神様を喜ばせる聖徒らの生活がどのようなものであるのかを三つに分けて教えています。
I.聖潔を得させるために(1-8)
主に在る私たちが、まず目指すべきは、イエス様のように聖く生きていくことです。神様は、イエス・キリストの血潮という代価を払って私たちを買い取ってくださいました。それは、私たちが聖くなるためです。ですから、私たちは不品行を避け、自分のからだを、また、自分の妻を、聖く、尊く保つべきです。異邦人のように情欲におぼれて、不倫を行なうような者はさばきを受けるのです。神様は私たちを召されました。それは、汚れたことをさせるためではなく、聖めるためです。ですから、この警告を拒むということは、神様を拒んでいるのです。
II.さらに兄弟を愛しなさい(9,10)
テサロニケの聖徒たちは互いに愛し合っていました。もはや、パウロが、兄弟愛については何も書き送る必要がないほどでした。しかしながら、パウロは「ますますそうであってください」と勧めています。私たちが、どれだけお互いに愛し合ったとしても、十分過ぎるということはないからです。
III.自分の手で働きなさい(11,12)
聖徒たちは自分の仕事に身を入れ、自分の責任を果たすべきです。人が自分の働きを担うとき、外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また、生活の必要が満たされるからです。
祈り:主よ!あなたを喜ばせる生き方から離れていたことを悔い改め、もう一度、聖なる生き方へと立ち返ります。兄弟を愛し、また、自分の働きをまごころを持って担うことができるようにお導きください。
一言:神様の御旨は私たちが聖く生きること
2005年07月25日 (月)
テサロニケ人への手紙第一 3:1-13
使徒パウロは羊たちの良い牧者でした。彼はテサロニケの聖徒たちが御言葉を受けた後、迫害によって信仰の幼い芽が踏みにじられないか心配していました。しかし羊たちが信仰に堅く立っているという知らせを聞き、喜びに満たされました。
I.テモテを遣わしたパウロ(1-5)
使徒パウロは、彼らに、真実に信仰に生きるなら、苦難に会うようになると告げていましたが、それは事実となりました。私たちが信仰に生きる時、確かに迫害を受けるようになります(Ⅱテモ3:12)。パウロは、彼らが迫害によって倒れてしまわないかと心配していました。そして、がまんできずに、テモテを遣わしました。それは、彼らの信仰を励まし、苦難の中にあっても揺れ動く者が一人もないようにするためであり、そして、誘惑者を引き離し、自分たちの労苦が無駄にならないようにするためでした。パウロはどのような状況にあっても、羊たちのために最善を尽くしました。
II.羊たちが堅く立っていることを喜ぶパウロ
パウロはテモテから喜びの知らせを聞き、彼らの信仰の故に大きな慰めを受けました。「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」(8)。パウロは、彼らが信仰に生きていることを喜び、その喜びの全てを下さった主に感謝を捧げました。そして、彼らの信仰の足りないところを補いたいという思いで、昼も夜も熱心に祈りました。
パウロは、羊たちの故に心配し、羊たちの故に喜ぶ、まことの牧者でした。あなたは、日々の生活において、何の故に心配し、また、何の故に喜んでいるでしょうか。
祈り:主よ!私が自分自身の些細なことにとらわれるのではなく、ただ、あなたの羊たちのことで心配し、また喜ぶ牧者となれるように、私をお導きください。
一言:あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります
使徒パウロは羊たちの良い牧者でした。彼はテサロニケの聖徒たちが御言葉を受けた後、迫害によって信仰の幼い芽が踏みにじられないか心配していました。しかし羊たちが信仰に堅く立っているという知らせを聞き、喜びに満たされました。
I.テモテを遣わしたパウロ(1-5)
使徒パウロは、彼らに、真実に信仰に生きるなら、苦難に会うようになると告げていましたが、それは事実となりました。私たちが信仰に生きる時、確かに迫害を受けるようになります(Ⅱテモ3:12)。パウロは、彼らが迫害によって倒れてしまわないかと心配していました。そして、がまんできずに、テモテを遣わしました。それは、彼らの信仰を励まし、苦難の中にあっても揺れ動く者が一人もないようにするためであり、そして、誘惑者を引き離し、自分たちの労苦が無駄にならないようにするためでした。パウロはどのような状況にあっても、羊たちのために最善を尽くしました。
II.羊たちが堅く立っていることを喜ぶパウロ
パウロはテモテから喜びの知らせを聞き、彼らの信仰の故に大きな慰めを受けました。「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」(8)。パウロは、彼らが信仰に生きていることを喜び、その喜びの全てを下さった主に感謝を捧げました。そして、彼らの信仰の足りないところを補いたいという思いで、昼も夜も熱心に祈りました。
パウロは、羊たちの故に心配し、羊たちの故に喜ぶ、まことの牧者でした。あなたは、日々の生活において、何の故に心配し、また、何の故に喜んでいるでしょうか。
祈り:主よ!私が自分自身の些細なことにとらわれるのではなく、ただ、あなたの羊たちのことで心配し、また喜ぶ牧者となれるように、私をお導きください。
一言:あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります






