2005年07月16日 (土)
コロサイ人への手紙 1:24-2:5
使徒パウロは福音の働き人として主に召されました。それは、どのような生き方だったのでしょうか。
I.キリストの苦しみの欠けたところを満たしているパウロ(24)
パウロは福音の御業に仕えていましたが、今は監獄に入れられ、苦しみを負っています。しかし彼は、むしろ、救いの御業のために受ける苦しみを喜びとし、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているという自覚を持っていました。
キリストの苦しみの欠けたところとは、そのからだとなる教会のために受ける苦難を意味します。パウロは、その苦難を喜びました。彼は教会と聖徒たちにその身を捧げていたのです。
II.神様の御言葉を伝えようとするパウロ(25-29)
パウロが教会の働き人になったのは、神様の御言葉を伝えるためでした。多くの世代にわたって隠されて来た奥義を人々に知らせるためでした。今や、この奥義は聖徒たちに現されています。その奥義とは、イエス・キリストです。
使徒パウロはキリストを伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためでした(28)。使徒パウロは、このために力を尽くし労苦しました。彼は監獄の中でさえも、働きを休むことはありませんでした。
III.見たことのない人たちのために労苦するパウロ(2:1-5)
パウロはコロサイの聖徒たちだけではなく、ラオデキヤにいる人々、直接見たことのない人たちのためにも、苦闘しました(1)。それは、彼らが神様の奥義であるキリストを知るようになるためでした。キリストのうちには、全ての知恵と知識との宝が隠されています。
祈り:主よ!私をあなたのからだである教会の働き人として召して下さり、ありがとうございます。この人生をかけて、あなたを宣べ伝えて行きます。お導きください。
一言:キリストの力によって労苦する
使徒パウロは福音の働き人として主に召されました。それは、どのような生き方だったのでしょうか。
I.キリストの苦しみの欠けたところを満たしているパウロ(24)
パウロは福音の御業に仕えていましたが、今は監獄に入れられ、苦しみを負っています。しかし彼は、むしろ、救いの御業のために受ける苦しみを喜びとし、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているという自覚を持っていました。
キリストの苦しみの欠けたところとは、そのからだとなる教会のために受ける苦難を意味します。パウロは、その苦難を喜びました。彼は教会と聖徒たちにその身を捧げていたのです。
II.神様の御言葉を伝えようとするパウロ(25-29)
パウロが教会の働き人になったのは、神様の御言葉を伝えるためでした。多くの世代にわたって隠されて来た奥義を人々に知らせるためでした。今や、この奥義は聖徒たちに現されています。その奥義とは、イエス・キリストです。
使徒パウロはキリストを伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためでした(28)。使徒パウロは、このために力を尽くし労苦しました。彼は監獄の中でさえも、働きを休むことはありませんでした。
III.見たことのない人たちのために労苦するパウロ(2:1-5)
パウロはコロサイの聖徒たちだけではなく、ラオデキヤにいる人々、直接見たことのない人たちのためにも、苦闘しました(1)。それは、彼らが神様の奥義であるキリストを知るようになるためでした。キリストのうちには、全ての知恵と知識との宝が隠されています。
祈り:主よ!私をあなたのからだである教会の働き人として召して下さり、ありがとうございます。この人生をかけて、あなたを宣べ伝えて行きます。お導きください。
一言:キリストの力によって労苦する
2005年07月15日 (金)
コロサイ人への手紙 1:15-23
当時コロサイ教会の内にあった天使崇拝などの流れは、ただ一人の救い主イエス・キリストの否定へとつながりかねないものでした。こうした中で、使徒パウロは、イエス様が万物より先に存在した方であることを証しています。
I.万物より先に存在したイエス様(15-19)
私たちを救い出してくださったイエス・キリストはどんな方なのでしょうか。一つには、イエス様は見えない神様のかたちです(15)。私たちはイエス様を通して神様のかたちを知ることができるのです。二つ目に、イエス様は万物の造り主です(16)。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべてが御子によって造られ、御子のために造られました。そして三つ目に、イエス様は教会のかしらです。イエス様は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。
このように、神様は満ち満ちた神様の本質をイエス様のうちに宿らせたのです(19)。当時の偽の教師や今日の統一協会のような、福音の本質から外れた人々は、共通してイエス様ひとりでは不十分であると言います。しかしイエス様のうちに全てがあり、イエス様が全てなのです。
II.平和をもたらされたイエス様(20-30)
万物より先に存在したイエス様は、この地に来られ、何をなして下さったのでしょうか。イエス様は、その十字架の血によって平和を造られました(20)。かつて、私たちは神様から遠くは離れてさまよっていたばかりか、神様に敵対してさえいたのです。しかしイエス様は、そんな私たちのために、ご自身を犠牲にされました。私たちは、イエス様の死を通して神様の深い愛を知り、神様と和解し、その聖なる子どもとされました。
祈り:主よ!全てはあなたのうちにあり、あなたのために造られました。私が、このことを覚えて、あなたのために生きるように導いてください。
一言:イエス様は私のすべてです
当時コロサイ教会の内にあった天使崇拝などの流れは、ただ一人の救い主イエス・キリストの否定へとつながりかねないものでした。こうした中で、使徒パウロは、イエス様が万物より先に存在した方であることを証しています。
I.万物より先に存在したイエス様(15-19)
私たちを救い出してくださったイエス・キリストはどんな方なのでしょうか。一つには、イエス様は見えない神様のかたちです(15)。私たちはイエス様を通して神様のかたちを知ることができるのです。二つ目に、イエス様は万物の造り主です(16)。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべてが御子によって造られ、御子のために造られました。そして三つ目に、イエス様は教会のかしらです。イエス様は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。
このように、神様は満ち満ちた神様の本質をイエス様のうちに宿らせたのです(19)。当時の偽の教師や今日の統一協会のような、福音の本質から外れた人々は、共通してイエス様ひとりでは不十分であると言います。しかしイエス様のうちに全てがあり、イエス様が全てなのです。
II.平和をもたらされたイエス様(20-30)
万物より先に存在したイエス様は、この地に来られ、何をなして下さったのでしょうか。イエス様は、その十字架の血によって平和を造られました(20)。かつて、私たちは神様から遠くは離れてさまよっていたばかりか、神様に敵対してさえいたのです。しかしイエス様は、そんな私たちのために、ご自身を犠牲にされました。私たちは、イエス様の死を通して神様の深い愛を知り、神様と和解し、その聖なる子どもとされました。
祈り:主よ!全てはあなたのうちにあり、あなたのために造られました。私が、このことを覚えて、あなたのために生きるように導いてください。
一言:イエス様は私のすべてです
2005年07月14日 (木)
コロサイ人への手紙 1:1-14
使徒パウロは、コロサイにいる聖徒たちに恵みと平安があるように願っています(1,2)。そして彼らのために神様に感謝し、彼らのために祈り求めています。
I.使徒パウロの感謝課題(3-8)
パウロには、コロサイの聖徒たちのために祈る時ごとに、神様に感謝していることがありました。それはキリスト・イエスへの彼らの信仰と、他の聖徒たちへの彼らの愛についてでした。そして、彼らのために天にたくわえられてある望みについてでした。福音の真理の御言葉を聞いて、神様の恵みを本当に理解するとき、人には、信仰、希望、愛が実るのです(6)。あなたの心には、キリストへの信仰と、天の御国への望みと、他の人々への愛があるでしょうか。このことを神様に感謝しましょう。
II.使徒パウロの祈祷課題(9-14)
使徒パウロはコロサイの聖徒たちのために絶えず祈り求めて来ました。彼らが神様の御心を深く知るようになり、あらゆる点で神様に喜ばれるようにと祈って来ました。あらゆる善行のうちに実を結び、神様を知る知識が増し加わり、神様の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされるように祈って来ました。暗やみの圧制から救いだされ、愛する御子のご支配の中に移されたことを喜び、感謝することができるように祈って来ました。私たちは、自分自身や隣人のために祈る時、なにを目指して祈るべきなのか、分からなくなる時があるかもしれません。私たちは、何よりも神様の御心を知る知識のために、そして神様に喜ばれる生き方のために祈って行くべきなのです。
祈り:主よ!私が全てのことにおいて、あなたに喜ばれる者となれるようにお導きください。
一言:信仰、希望、愛
使徒パウロは、コロサイにいる聖徒たちに恵みと平安があるように願っています(1,2)。そして彼らのために神様に感謝し、彼らのために祈り求めています。
I.使徒パウロの感謝課題(3-8)
パウロには、コロサイの聖徒たちのために祈る時ごとに、神様に感謝していることがありました。それはキリスト・イエスへの彼らの信仰と、他の聖徒たちへの彼らの愛についてでした。そして、彼らのために天にたくわえられてある望みについてでした。福音の真理の御言葉を聞いて、神様の恵みを本当に理解するとき、人には、信仰、希望、愛が実るのです(6)。あなたの心には、キリストへの信仰と、天の御国への望みと、他の人々への愛があるでしょうか。このことを神様に感謝しましょう。
II.使徒パウロの祈祷課題(9-14)
使徒パウロはコロサイの聖徒たちのために絶えず祈り求めて来ました。彼らが神様の御心を深く知るようになり、あらゆる点で神様に喜ばれるようにと祈って来ました。あらゆる善行のうちに実を結び、神様を知る知識が増し加わり、神様の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされるように祈って来ました。暗やみの圧制から救いだされ、愛する御子のご支配の中に移されたことを喜び、感謝することができるように祈って来ました。私たちは、自分自身や隣人のために祈る時、なにを目指して祈るべきなのか、分からなくなる時があるかもしれません。私たちは、何よりも神様の御心を知る知識のために、そして神様に喜ばれる生き方のために祈って行くべきなのです。
祈り:主よ!私が全てのことにおいて、あなたに喜ばれる者となれるようにお導きください。
一言:信仰、希望、愛






